❝虐殺❞の地に何を想う? ★中国王道観光記★彡 (後篇)+ セイタ流!?ライティング講座
ハ━━━ヾ(。´囗`)ノ━━━イ
みなさん
こんにちは!
セイタ☆です!
今回は
チャイナトリップの後半です。
では、日程の再確認
☆旅行日程☆
(読み飛ばしてもらってかまいません)
零日目(東京):中国大使館で授賞式
一日目(北京):ANAで北京へ、人民中国雑誌社見学、中国外文局にて二度目の授賞式。
二日目(北京):北京展覧館、劉徳有先生のお話、北京観光(三つのグループに分かれる)
三日目(北京、天津、南京):バスで天津に移動、周恩来記念館、高鉄で南京に移動
四日目(南京):南京アイ、中山陵、明の城壁、中国科挙博物館
ここまでが前半です。
前半はこちら➡ めぐりめぐって里帰り!?★中国王道観光記★彡(前篇)
五日目(南京、上海):南京大虐殺記念館、高鉄で上海へ、七宝古鎮
六日目(上海):内山書店、魯迅故居、田子坊、上海環球金融中心
七日目(上海、東京):ANAで東京へ
後半では、五日目以降の出来事と僕がどのように作文を書いたのか (498の応募があった中で優秀賞に選ばれたのは10の作品だけですので・・・)
について書いていきたいと思います。
それでは
旅の出来事について書いていきたいと思います!
その前に
前半を読んだ読者から、以下のようなフィードバックを受けました
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袁さんの写真が少ない┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
てなわけで、
一日目から四日目までの袁さんの写真をとりあえずアップしておきます(笑)
袁さんの写真だけ見て、このブログを読むのをやめようとしているそこのあなた!
まだ早いですよ。
ここからもガンガン袁さんの写真をアップしますよ(*`ω´*)ドヤッ
てなわけで、そろそろ
本編に入っていきたいと思います。
【南京】
五日目の朝がやってきました。
この日はいつもより少しだけフォーマルな服を着ることにしました。
なぜなら
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南京大虐殺記念館を訪れるからです。
キョエーーーーーーーーーー
さすがに、
Tシャツにジーパンではいけません^^;
そもそも僕はこの旅行中は襟のない服を着てませんが( ͡° ͜ʖ ͡°)
一応ね笑
それ以外は色々と粗相しているので(前半参照)
というわけで
大虐殺記念館にやってきました!
まず、現地メディアの歓迎を受けました。
なお、美男美女が尺をとってます(笑)
献花式!
花を添えました。
この時、めっちゃ写真撮られました
やっぱり日本人が南京大虐殺記念館に花を添えてる写真が欲しかったのでしょうね囧rz
写真を取った後は南京大虐殺記念館の館長とのお話!
メモを是非とも取ってくれ
と言わんばかりの豪勢なメモ帳が用意されてました。
おかげでめっちゃメモ取れました。
館長の話が終わった後は
質疑応答タイム うヒョーーーーーーーー
館長との楽しい楽しいお話の時間がやってきました。
とは言っても、現地メディアが集まっているオフィシャルな場です。
館長の本心が聞けるとは全く思っていません⊂((・⊥・))⊃
中国には統一口径(tongyikoujing)という言葉もあって、
オフィシャルな場ではみんな同じようなことを言うんですよ!(by元中国大使丹羽氏 『中国の大問題』)
それゆえ、僕の「この記念館を通して、私たち若者に何を学んで欲しいですか?」と言う質問に対して、
自分の息子の例まで出して長々と回答していただけました。
後、他の参加者の「私は小学校から歴史を習ってきましたが、南京大虐殺に関する理解が不足しています。どのように学んでいけば良いでしょうか?」と言う質問も館長が答えやすそうでした。
ちなみに、これらの質問は現地メディアにも取り上げられました。
一方、「安倍談話はどう思いますか」と言う質問に対しては、まるで念仏でも唱えるように
「嘘偽りに満ちた」とか「取り繕った」とか言うようなテンプレートを述べてました。
ちなみに、党幹部とかの偉い人はだいたいこんな風に答えますね。
僕が知っているなかでは、北京大学の国際関係学院の日本研究の先生だけがちょっと違った意見でしたね。「文章をよく見てみろよ。よくできているではないか。談話が発表された直後はとりあえず批判するものだ」的な。
まとめると、デリケートな問題について質問しても金太郎飴のような回答しか返って来ないので、
時間の無駄です。
「個人的にどう思うか」といった質問をあまりデリケートではない分野でするといいと思います。
「中国公使として答えます」とか言い出したら、建前しか言わないので、地獄ですよ(( _ _ ))..zzzZZ
館長との対話が終わった後は、
虐殺記念館の見学です。
日本人が行ってきた数々の悪行が赤裸々に展示されてます。
それと対比して、中国の外国人が如何に中国人の為に戦ったのかという展示も多かったです。
南京大虐殺記念館国際的に重要であるということを強調したい中国の思惑が見え隠れしますね(╹◡╹)♡
あと、結構びっくりしたのが、南京大虐殺の際に亡くなった人の遺骨が別館に展示されていたことです\(^o^)/
解説の人は「この展示館そもそもがお墓だからオケ」って言ってましたが、
オケじゃねえだろって感じですねよ笑
ここで写真を取った子の内の一人が撮った写真にはオーブがこれでもかというほど写り込んでいました怖
てな感じで、今回最大の山場である南京大虐殺記念館を後にしました。
終始メディアがついてきててちょっとやりにくかったです。
南京大虐殺記念館を無事に切り抜けた僕たちは高鉄(新幹線)に乗りました。
そして、あっという間に上海へ
まだ、五日目は残っていますが、ここに五日目の感想を載せたいと思います。
僕は留学していた時から、歴史認識を改める旅と名付け、満州国博物館、盧溝橋、抗日記念館と不幸な過去を伝える様々な場所を訪れました。今回はその中でも最も日中でのわだかまりが深い南京大虐殺記念館を訪れることができ、胸のつかえが取れた気がします。歴史とは主観的認識の集合です。日本の歴史とは日本人の認識の集合に過ぎないと考えています。日本国内で完結する事案ならばそれで問題はないと思いますが、2カ国に跨る事案ならばそういう訳には行きません。両国の主張をすり合わせ、それっぽい妥協点を探る必要があります。今回の見学で、中国側がどのやうに考え、日本に何を求めていのかが少しわかったような気がします。
【上海】
今回の旅の最終目的地は上海です。
今思えば、私が初めて中国を訪れた際も上海の地を踏みました。
大学一年生の頃の僕が中国という国に持っていた「どことなく貧しい」というイメージは吹き飛びました。
四年前の上海はすでに改革開放により目覚ましい発展を遂げていました。
今回、僕らは上海の七宝古鎮を訪れました。
典型的な観光地ですね。千と千尋に出てくる中華街がイメージに近いと思います。
ここで少しだけお土産を買いました。
中国で何か買っても、帰国後に後悔することが目に見えているので(^◇^;)
なお、袁さんとすごく幻想的な夜景をバックに写真を撮ってもらったのですが、
残念ながら僕の手元には届いていません。
袁さんといい感じの人民中国の社員に頼むんじゃなかったなぁ
という後悔に苛まれています。
以上で五日目は終了です。
なお、上海で泊まったホテルにはフィットネスルームが併設されていました。
四つ星です。
次の日(六日目)がやってきました。
七日目は移動日なので、この日が実質の最終日ですね。
まず、魯迅記念館と内山書店を訪れました。
僕はけっこう魯迅という作家が好きなんですよ。
作品は阿Q正伝と狂人日記くらいしか読んだことはないですし、
この二つの作品に関してもどこまで理解できているかわからないんですけどね(⌒-⌒; )
じぁ、何が好きかっていうと、
そのスタンスですね。
もともと魯迅は一人でも多くの中国人を救いたいと医学を目指していました。
しかし、医学で救えるのは体だけ。
中国人が列強諸国の侵略に屈せず自立するためには、精神の自立が不可欠だと考えるようになったのです。
そこで文学を志したのです。
これがどことなく僕を惹きつけるのです。
ちなみに、魯迅は東北大学の医学部に留学していました。
ちなちなみに、魯迅は夏目漱石に憧れていたようで、見た目も漱石に似せています。
僕の説明を聞いて、魯迅に興味が湧いたなら、
太宰治の『惜別』をお勧めします。
この作品は太宰特有の諧謔もニヒリズムも感じさせず、文章もコキコキしているため
太宰ファンからの人気は芳しくないです。
しかし、この作品からは太宰の中国観ともいえるものがにじみ出ており、
僕個人としては、結構好きです。
お時間があれば、是非!
魯迅記念館を出てから、人民広場に行きました。
ここは正に、中国人の憩いの場という感じです。
ここで、老人に筆を使って地面に水で僕の名前を書いてもらいました。
中国のご年配の方は一芸に長けている方が多いんですよね。
きっと文革の時にやることなくて、ずっと練習していたのでしょうね(⌒-⌒; )
次に訪れたのは、田子坊です。
ここもthe 観光地って感じの場所です。
ここは結構おしゃれで、上海って感じがします。
いろいろな店があります。
ここで駄菓子を買いました。袁サンが子供の時によく食べていたと言っていたので・・・
なお、あまり美味しくなかったのと、糖質制限ダイエットを始めたのとでいくらかは捨てました。
中国の包装食品はだいたい美味しくないのです。中国の料理は美味しいのですが。
ここは今回の旅で一番満足度が高いエリアでした。
そのあとは、森ビルの金融中心に行きました。
100階建とあって、夜景が超綺麗でした。
そのあとは、森ビル特別顧問の星野様と会食しました。
で、最後の夜ということも
参加者でオサレなワインバルに行きました。
てな、感じで、六日目の夜が終わりました。
六日目の感想。なんか独白みたいな文章ですね笑
四年前に上海を訪れた時と比べて、この都市はどれほど発展したのでしょうか?日本では考えられないような高層ビルが立ち並び、金融の中心として栄えています。一方で、七宝古郷や田子坊のやうに、洋の東西問わず観光客を引き付けている観光地もあります。上海はまさに世界に冠する都市として発展し続けています。
私自身はこのような上海の発展と歩幅を合わせて、成長してこれたのでしょうか?中国語も4年前とは比べて、格段に上達したとはいえ、まだまだです。中国研究者としても中国への理解は浅く、自身の先入観などを払拭できずにいます。このように私自身もまだまだ発展途上にあります。それでも前に進み続けることこそが必要なのだと思います。上海は私にとっての初めての中国であります。今回のように、人生のターニングポイントで上海を訪れ、自らが進むべき方向を見つめ直せたことは大きな収穫だったと思います。
そして、最後の日が訪れました。
ANAに乗って、帰りました。
機内食は行きの便ほど美味しくなかった上に、ハーゲンダッツもでなくてチョイおこです(T ^ T)
以上で、僕のパンダ杯での旅行は終わりです。
待遇も良く、あまり行けない所に行けたりしたので満足度は高かったです。
一方、中国の綺麗な部分及び歴史認識に関する部分が旅行日程の大半を占めていたのがちょっと気にかかりますね。かといって、僕が留学中に住んでいたようなスラムを訪れたらよいってわけでもないので・・・
難しいところですね。
僕の葛藤を旅行全体の感想文に書きました。
抽象的でちょっと読みにくいかもしれませんが、ぜひ読んでください!
バルーントリップ2017
「得難い経験をしたな!」今回の旅の感想です。外文局での表彰式、劉徳有先生の講演、南京大虐殺記念館館長との対話、森ビル特別顧問の星野様との会食等どれをとっても普通の学生にはできない経験でした。また、私達受賞者が中国を満喫できるように、人民中国のスタッフ、交流会で一緒になった現地の学生等の方々は精いっぱい努力してくれました。以上の経験は私が中国と4年半付き合ってきた中で一度も経験したことのないものばかりであり、その意味で大変貴重な経験だったと言えます。
そのような破格の待遇に満足しつつも、私の心はどこか晴れません。私にとっての中国はある種の故郷のような存在です。中国に来ると私はいつも懐かしさに胸がいっぱいになります。今回はそのような感情をあまり感じませんでした。私達が接触した中国人が日本語に長けていたため、あまり中国語を使わなかったことも原因の一つでしょう。しかし、それ以上に、何か無理をしているかのように感じました。それは例えるなら、風船をパンパンに膨らまし、体積を大きく見せようとしているかのようでした。
あるフィールドワーカーは以下のように述べています。「自らがジグゾーパズルの一ピースのように埋め込まれている社会における権力構造に自覚的でないと、自らが見ている現実が、周囲の配慮により作られた『現実』であるということに気付くことなく、他の人たちにも同様に見えている現実であると見なして、それらを書き論じていくということになりかねない。」今回私達が体験したものは、周囲の配慮により作られた現実のように感じました。僕たちが快適に過ごせるように人民中国のスタッフが使ってくれた気遣い、交流会に参加していた翻訳専攻の学生たちの気遣い。それは中国という「風船」に満ち溢れた気遣いという「空気」でした。
私はこの四年半の月日を通して萎んだ「風船」を何度も見てきました。だから、パンパンの「風船」は一目でわかります。しかし、中国とあまり関係が密接でない人はどうでしょう?「空気」で満たされた「風船」を現実と捉えてしまった人は、萎んだ「風船」を見た際にどのように感じるのでしょうか。張りつめた風船が少しの刺激で破裂するように中国との関係が終わりを迎えてはしまうのではないでしょうか。異様なほどの礼賛はふとした瞬間に強い嫌悪に変わります。
何度も中国と関ってきた私自身の経験から言えば、中国はありのままで面白いし、飽きません。そもそも、中国をある程度好きな人しか今回の旅には集まっていません。だからこそ、私達受賞者にすごく気を使ってくれた中国人の方々には「肩の力を抜いてもいいよ。」と伝えたいです。
【番外編】
ここからは番外編です。
僕が今回の作文を書く時に、何を考え、どのやうに書いたかを記していきます。
作文でも小説でも論文でも、普通だったら完成版しか見ることができないので、
作者の思考プロセスがわからないとおもいます。
今回はそこのブラックボックスをできる限り分解してみたいと思います。
ちなみに、ここからも長いので一旦ブラウザを閉じて、休憩することを推奨します(笑)
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はい、おかえりなさい。
それでは、番外編を再開したいと思います。
最初に僕が書いた作文を読んでもらえると嬉しいです。
僕が書いた作文を題材にして説明していくので(^ω^;);););)
私と中国の出会いは人に語れるようなものではない。日中友好を考えていたわけでも、中国の持つ悠久の歴史に心動かされたわけでもない。ただ、大学入試の前期試験に落ち、後期試験として中国語専攻を選んだだけだった。私が入学した2013年4月には、小さな島を巡って日中両国の関係が近年で最悪となっていた。周りの知人にもよく「なんで中国語を選んだの?」と問われた。私は「これから先伸びそうな国の言語だから」という当たり障りのない答えしかできなかった。そんな私の思いとは裏腹に、私の中国語はみるみる上達し、北京大学への交換留学のチケットを手に入れることができた。
入学後私は短期で上海、北京、雲南を訪れた。その経験により、私は短期の滞在では見えてこない中国の良さを理解したいと思いを強め、2015年9月から私は一年間北京大学に留学することを決意した。一年間の留学を通して、私の中国への印象は大きく変わった。私は中国の高いGDPにも関らず、心のどこかで中国は経済的に貧しい国と言う偏見があった。しかし、実際のところ、それは大きく間違っており、日本よりも先進的な部分が多々あった。ひとつ例を上げるとすると、Alipayである。これは全ての決済を携帯電話で行うことができるアプリである。決済は身分証と紐づけられているので不払いのリスクも低い。Alipayのおかげで私は中国留学中、キャッシュレスな生活をすることができた。他にも私が留学していた際はUberが中国に進出していた。Uberさえあれば、値段も高く、サービスも劣るタクシーは必要なかった。さらには、OfOというシェアサイクルのサービスまでも存在していた。規制の厳しい日本ではこれらのサービスは一部の地域でしかリリースされていない。我々日本人が中国に学ばなければならない時代が再び来たことを実感した。
しかし、中国は広い。中国で最も発展している北京だけしか知らないで「中国通」を名乗れないと考えた私は、北はハルビン、南は雲南、西はウルムチと中国全土を巡った。その中でも雲南省での経験は中国を理解するうえで、非常に意義深いものであった。2017年3月1日から10日間、私は雲南省のプーアル市でフィールドワークを行った。二度目の雲南であった。7人の学生と3人の先生で雲南の農村に分け入った。フィールドで私が感じたのは、所得水準の低さが必ずしも生活の貧しさに直結しないという事実だ。私達がある農家をインタビューした時のことである。私達はおよそ2時間程度、その人の収入や職業などを伺った。その方の年収はおよそ2、3万元(1元=16円程度)であった。インタビューが終わり、私達が去ろうとした時に、農家の方が一つ1500元もするプーアル茶をお土産として数個用意してくれた。なぜ年収の数分の一にもあたるものを初対面の私達にくれたのか。一つの要因としては、私達がその農家の方の親戚の紹介できたからだろう。「親戚の友達は客人」ということだ。しかし、それよりも大きな要因は、現金収入以上に農家の方は裕福だからであろう。この方は豚や鶏を飼っており、自家菜園も行っていた。つまり、ほとんど自給自足で、現金収入が必要なのは娯楽費くらいだそうだ。このような事実は北京で雲南省の統計データだけを見ていては絶対にわからないことである。現地でフィールドワークをすることでデータの上では農民のリアルを理解することができ、中国と言う国の多様性を再認識することができた。
中国は広い。それゆえ、多様である。アメリカの大学院を目指す北京大生も雲南の農村でプーアル茶を作る農民も「中国人」である。そもそも北方人と南方人の遺伝的差異は日本人と韓国人よりも大きいそうだ。このような国の人を、「中国人」と十把一絡げに分類するのは無理な話ではないのか?目の前の人を「雲南人」「北京人」、そして一人の人間として接することが中国の多様性を理解する第一歩となるのではないのだろうか?
まず、前提としてこういった作文で評価を得るには他人と同じようなことを書いてはいけません。
自分らしさを出さなければならないのですね。
その方法としては
① 人が経験していないようなことを書く
② 人が考えないようことを書く
主にこの二つでしょうね。
これが上手く行けば、面白い文章になります。
僕の場合は北京大学での留学と雲南省でのフィールドワークという経験があったので、①には事欠きませんでした。
②に関しても「中国人は多様であるので、一人一人の違いに注意しよう」というアイデアはそこまで陳腐なものだとは思いません。
では、ここからは四つある段落ごとに見ていきましょう!
・第一段落
ここは導入なので、なるべく興味を持ってもらえそうなことを書きました。
それが、「私と中国の出会いは人に誇れるようなものではない」です。
ここで、読者の頭に「?」を生み出せたら、僕の勝ちですね(^ ^)
あとは、中国に対して精力的に働きかける僕が最初はそこまで中国に興味なかったという事実が
後の文章との対比になっています。
・第二段落
ここでは、僕自身の留学の経験から中国が如何に発展しているのかということを述べています。
この段落は第三段落と対比になるので、外すことができない文章なのですが、
正直ここの文章の完成度はそこまで高くないですね(^◇^;)
まず、事実の羅列に終わっていますね。ただ中国にある先進的なサービスを並列しているだけです。
中国についてそこまで詳しくない人だとしんどいと思います。
今回は審査員の方が中国関係の人ばかりだったので、大丈夫だと思いますが。
次に、内容に目新しさがないですね。
中国が如何に進んでいるかなんて、NewsPicksのコメント欄を読めば、わかることなので^^;
最後の「我々日本人が中国に学ばなければならない時代が再び来たことを実感した。」という意見も
日中関係の文脈では結構ありふれているので。近代以前の日本はずっと中国を学んできましたよね?
・第三段落
この段落は個人的に結構気に入ってます。
内容も面白いし、文章も読みやすいです。
まず、雲南でフィールドワークをしたという事実
面白くないですか笑
日本人はあんまり雲南でフィールドワークはしないと思います笑
しかも、農民からめっちゃ高いプーアル茶もらう経験は結構レアでしょうね
次に、以上の経験より生まれたインサイトも結構面白いと思います。
「中国人は身内を大事にする」という手垢のついた(門外漢には目新しいのかもしれませんね)インサイトに
触れた上で、「農民は現金収入以上に豊か」という新規性に溢れるインサイトも提示しています。
これって意外とみんな知らないんですよね。
ジニ係数(不平等を表す指数)や統計データを見ると、どうしても農村は貧しく見えるので。
フィールドワークに実際に行って来た僕が農村のリアルを伝えるという構図はかなりうまくできていると思います。
・第四段落
ここはまとめですね。
第二段落で述べられた都会としての北京と
第三段落で述べられた農村としての雲南
この二つの対照的な地域を見て来た僕自身が感じたことを述べています。
それが、「目の前の人を「雲南人」「北京人」、そして一人の人間として接することが
中国の多様性を理解する第一歩となるのではないのだろうか?」という文章に現れています。
ちなみにこの主張をすると、中国人から圧倒的な同意を得ることができます( ͡° ͜ʖ ͡°)
だいたいこんな感じですかね?
最後に、
授賞式で審査委員長から聞いた評価軸を三つ紹介したいと思います。
①簡潔さ
難しい言葉ではなく、簡潔な言葉で描くこと。
そもそも字数が2000字と短かったので、長々と描くと伝わらないので。
②キーワード
優秀賞に選ばれた作品は何かしらのキーワードが盛り込まれていたそうです。
僕の場合は「多様性」ですね
③忘れました
長々と書きましたが、これは一つの例に過ぎないので💦
文章の書き方なんて、十人十色なので、好きに書いたらいいと思います。
今回の受賞者の作文を読んでも、様々でした。
ただ、僕みたいに計算して書いている人とひたすら思いの丈を綴ったみたいな人に大別出来ると思います。
後者だと属人的すぎて、真似するのはちょっとしんどいですね。ある意味参考にならないというか。
僕みたいな書き方のメリットは
きちんとした手順を踏めば、誰にでもそこそこの文章が書けるということです。
ただ、実際に自分なりの「良い」書き方を身につけるには、
たくさん書いていろんな人に読んでもらうことが必要だと思います。
僕も、このブログでの記事執筆や大学での授業など多くのライティングをこなしたことで
4年前より成長できている気がしています。
もし来年とか中国にタダで行きたい方がいれば、是非ともパンダ杯に挑戦してみてください。
(35歳が上限です)
もし興味がある方がいれば、コメントしていただければ、個別に対応します。
それでは、非常に長くなりましたがこの辺で筆を起きたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。